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あおいのこだわり


創業昭和41年、浜松という土地で「御菓子司 あおい」は生まれた。
浜松の歴史に魅了され、あおいの和菓子の大半は浜松の歴にかかわる名前を命名している。
浜松の歴史は、旧石器時代およそ18000年前の浜北人の化石から始まっています。
この浜北人の化石は日本本州の中で日本人類史上最古の人類化石と言われています。
また、縄文時代およそ3000~4000年前に生活していたのではないかと思われる貝塚(蜆塚遺跡)が発見され
弥生時代には、多くの人々がこの浜松の土地で水田を開き生活を営んだとされています。

しかし浜松の歴史の代表といえば、やはり戦国時代と言えるのではないでしょうか?
特に徳川家康公により現在の浜松の原型が作られたとされており、家康公にまつわる歴史が多く残っています。

家康公はこの地に浜松城を築き、武田信玄公との三方ヶ原の戦いで敗戦します。
この戦いで敗れた家康公は命からがら浜松城へ逃げ帰る途中、空腹に見舞われ 1軒の茶屋に立ち寄り 「小豆餅」 を食べました。するとそこへ武田軍の追っ手が現れ、家康公は慌てふためき、代金も支払わず茶屋を飛び出しました。
驚いた茶屋の老婆は数キロ先まで家康公を追いかけとうとう代金を受け取ったと伝わっています。
そんなエピソードから、この茶屋があった場所を「小豆餅」、老婆が家康公から代金を受け取った場所を「銭取」 と呼ぶようになったそうです。

この小豆餅(あずきもち)と、銭取(ぜにとり)という名前は現在も浜松市の町名となっており、バス停の名前にもなっています。

こんな歴史がある浜松市は徳川家康公と深い繋がりがあり、浜松城は徳川300年の基を築いた家康公をはじめ、その後歴代の城主となった諸大名が幕府の要職に多く起用されたため、別称「出世城」とも呼ばれるようになりました。

御菓子司 あおいでは、そんな「小豆餅」、「銭取」の物語をお菓子で表現しました。
また「小豆餅」は、浜松の地域ブランド「やらまいか」の認定商品です。

店主より

浜松の歴史にこだわり続けるニ代目「豊田光彦」

浜松という土地に生まれ育ち、御菓子屋のニ代目として地域密着型の店作りを目指します。
「小豆餅」、「銭取」にも代表されるように、徳川家康公が愛したこの浜松という地を家康公の面白いエピソードをお菓子で表現しながら浜松ストーリーを全国に発信していきたいと願っています。